Light Worker "love and laugh"

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ただいま~、日本から戻ってきました。

父の病院に毎日通い、まだ聞こえる右の耳に向って沢山話してきた。

「パパの子供として生まれてきてほんまによかった。 
ありがとう、パパのことが世界で一番大好きやで
ごめんなあ、ごめんなあ」
感謝と謝罪の気持ちで一杯。
私が記憶している中でも、父に対して面と向って言ったことがないこと。
耳元で伝えてきた。
父はまだ、聞こえる。
全部解ってる。
植物人間になっていても、どの声がどの娘だとわかってる。
2003年に、半身不随になったときは、
話してくれることがなんとか理解できた。
「お前には苦労かけたな、すまんかった」・・何度も繰り返した父。

愛せるだけ、愛してみたかったのは、私のほうだった。

子供のとき、「愛が欲しい」といっても、もらった気がしなかった・・。
何歳だったか覚えていないけれど、
小さいときに、私のことを自分の子供ではない・・と他人と話してるときもあった。
自分が楽しむことに精一杯で、家族の面倒は二の次。
私が、20歳ぐらいになるまでは、子供が見なくてもいいものを見せつけられた。
「家族を捨てた、苦労させられた」・・と思った私は、父を赦せなかった。

でも、中学生のころ、父の寂しさを背中を通して感じていた。
こぶしを握りしめていた父を覚えている。
自分でもどうしたらいいのかわからなかったんだと思う。

そのときの私は父を思いやる・・という気持ちを押さえつけた。
見ないようにしたのだ。
自分のことが精一杯で、父の代わりに母を助け、家族を助けるしかなかった。
せめて・・・家族が崩壊しないように。
ただそれだけを願っていた。

「なんでこうなるの、なんでなん?」 
いつも、沢山の疑問があった。
悲しくて、苦しくて、体がちぎれそうになる場面に出会うたびに。

18年前に自分を見たときに、たくさんのことが見えた。
「私には親をそして他人を責める権利はない。」

両親を赦し、今まであったことが、全て贈り物だったと・・深いところで気がついた。
そのときは本当に、感謝の気持ちしかなかった。
憎んでいた感情は、うそのように無くなっていた。
いつも見る街の風景が、きらきら光輝いていたのをよく覚えている。
心が沢山の荷物を降ろして軽くなっていた。

それから、年月が経った。
私が21歳のときに、父が倒れた。
医者からは99%命はない・・と言われたが息を吹き返した。
15年経って、2回目に倒れたときは、半身不随となった。
そして、今父は次の世界へ旅立つための準備をしている。
魂をできるだけ清めるために、精算しているのだと思う。
今までには体験したことのない、不自由さを受け入れている。
父はがんばっている。

母が亡くなったときも思った。
親というものはいつの時も、「与えてくれる」存在だと。
全身で、人生を見せてくれている。

私達は本当は、清めるために生まれてきた・・ということを見せてくれている。

明日は来る・・・でも、私達は生身の人間。
この心臓がいつ止まるか、知らないで生きている。

本人はとてもつらいと思うけれど、
父が、ただ生きてくれてるだけで、ありがたい。
そして自分をはじめ、身の回りの人を
生身の人間として、慈しんでいきたいと強く思う。

父はまだ与えてくれている。
あの姿になっても、与えてくれている。
子供のころに、欲しかった愛の形とは違うけれど、
大きな大きな愛を与えてくれているのだと思う。

ありがとう、愛してます。

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2009.01.27 19:05 | | トラックバック(-) | コメント(-) |
私は、特に何も取りえがないです。
結局私のできることというのは、
「愛はいつもハート型で現れるのではなく、見る人の心によるものだと思います。
そして人生において、本当の意味で失うものはないです。
だから、勇気を出して」・・と言い続けることだけ。
それが、これまでの人生を通して理解したメッセージの一つで
今も自分に言い聞かせています。

父は、形違いの愛をくれました。
私が描いた愛とは違いましたが、結局は中味は同じものだと気付きました。
そう思えたのは、今から20年ほど前のことでした。
「自分を見る」・・というワークをしたときでした。
そこから、人生がそして自分が少し開いていきました。
・・・・「生きてる」ことが奇跡だということ、に気付かされた時代でした。
父にも、もう一度大きな声で、全てのことにありがとうと伝えてきたいと思います。

みなさんも今、目の前におられるご家族から、
遠く日本や海外におられるご家族まで・・どうか大切になさってください。
どんな事情があろうとも
どんなにケンカして、憎いと思うときがあっても、
絶対に和解できないと思っていても、
たった一人の貴重な人です。
二人と同じ人には出会いません。
どんなに嘆きの中にいても
氷が解けるように、心がほぐれる瞬間を創ることができます。

できれば感謝して、最後まであきらめないで、がんばってみるチャンスを
「自分に」あげてください。
そして、すでに仲良しのご家族のみなさんは、
できるだけ、愛し合う時間を味わいたいですね。
どちらにしても、今が大事です。
これ以上は・・・と自分が制限しているハードルを越えてみてください。
2009.01.08 17:39 | | トラックバック(-) | コメント(-) |
2009年がスタート。

年末のアトリエ引っ越しに引き続き、日本に一時帰国することになった。

父の様態が不安定。
父は、2003年から入院している。
今から、22年ほど前に一度倒れて、奇跡的に復活し、5年前にまた倒れて
今度は、半身不随になってしまった。

2003年1月に母が無くなり、20年ほど前には離婚していたとはいえ
奇妙なことに父も同じ年の10月に倒れたのである。
そして、今月は母の命日と七回忌。

クリスマスの日、妹から連絡があった。
「パパの脳に炎症がある」
そこから、手術になるのか、どんな治療ができるのか・・という話になった。

父の状態は殆ど植物人間のよう。
昨年、一度悪化して以来、こちらからの呼びかけにも殆ど返答が無くなった。
今は体力的にも、かなり厳しい。

植物人間状態・・・かなりきつい言葉だ。
父は、この状態でありながら、耳は聞こえていて、痛みがまだわかる。
本人の負担が大きいため 通常では、積極的手術はしない。
そして、なんと炎症が自分の治癒力で回復している・・という専門家の話。
この体でも、治癒力が戦ってくれている。
すごい生命力。

でも、レントゲンを見ると後頭部にも影が出ているらしい。
どちらにしても、危ない状態なのである。
エネルギーを送り、
父と繋がっているとはいえ、
帰国して、耳元で話しかけてあげることがとても大事に思う。
「聞きたい」のだ。
子供達の声を聞いて、安心したいのだと思う。

8日から出発する。
子供達みんなが集まるとき。
大事なひと時となりそう。


2009.01.02 19:29 | | トラックバック(-) | コメント(-) |
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